2000年8月「いぼとり神様・仏様」のインターネットサイトを公開し、現在までに100ケ所以上のいぼ神様を訪問取材しました。いぼ治療におけるいぼ神様の効能を紹介してゆきます。
ブログ「いぼとり神様・仏様」
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千葉県市川市のいぼとり地蔵(2)
2008年 09月 23日 (火) 19:18 | 編集
市川市の内科クリニックのS先生から頂いた市川市内のもう一つのいぼとり地蔵のページを公開しました。市川市市川1丁目の地蔵山墓地にあるいぼとり地蔵さんです。江戸時代初期の1655年(明暦元年)にこの界隈の新田開発に尽くした田中正成が建てた逆修供養塔です。サイト「いぼとり神様・仏様」の頂いたいぼ神様のページも御覧下さい。

地蔵山墓地のいぼとり地蔵

地蔵山墓地のいぼとり地蔵
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伊豆市のもうひとつのいぼ神様の金米さん
2008年 05月 29日 (木) 09:13 | 編集
静岡市伊豆市土肥横瀬にある金米さんといういぼ神様を訪問取材しました。国道136号線の土肥山川にかかる水神橋のところから横瀬川に沿ってちょっと南下したところが横瀬の部落です。お目当ての金米さんはこの横瀬に来て病に倒れた江戸時代の旅人のお墓です。サイト「いぼとり神様・仏様」の金米さんのページを御覧下さい。金米さんはいぼとりと眼病に御利益があるといわれています。同じ土肥の八木沢の大守院にある地持地蔵菩薩もいぼとりと眼病に効くといわれていますが、宗教民俗学的によくみられます。

国道136号線の水神橋の南袂を西に入ります

国道136号線の水神橋の南袂を西に入ります。

土肥温泉源の看板のところを南に下ります

土肥温泉源の看板のところを南に下ります。

水神橋近くから南方に見える金米さんのある横瀬の集落

水神橋近くから南方に見える金米さんのある横瀬の集落
小笠原長清のお墓・疣地蔵
2008年 04月 10日 (木) 23:43 | 編集
再びいぼ神様取材旅を始めました。4月6日に山梨県北杜市明野町小笠原の長清禅寺にある小笠原長清のお墓を訪問しました。お墓なのに疣地蔵といわれていました。長清禅寺前の桜は今まさに満開でした。お墓の横には旧明野村教育委員会作成の説明板がありました。いぼとり神様・仏様の小笠原長清のお墓のページを御覧下さい。

長清禅寺前の満開の桜


正面から見た長清禅寺


小笠原長清のお墓と旧明野村教育委員会の説明板




長野県塩尻市塩尻町の阿礼神社の石燈籠
2008年 03月 02日 (日) 09:35 | 編集
長野県塩尻市塩尻町の阿礼神社を訪れたのは昨年の7月の中旬でした。当日は地区のおまつりで地元の方々にお尋ねしたのですが分からず、運悪く宮司さんがお留守だったのでいぼ神様を確認出来ずに戻りました。塩尻市役所の観光課にお尋ねしたところ石燈籠の写真を贈って頂きました。阿礼神社は塩尻東小学校の南にあり石燈籠は神社入口にある龍の湧き水のすぐ上にあったのです。もういちど訪れて自分の目で確認してからと思っていたのですが早半年過ぎてしまい冬になって行くチャンスを失ってしまいましたので記憶を頼りに公開しました。私のサイトの阿礼神社の石燈籠のページを御覧下さい。

塩尻東小学校の入口

阿礼神社の北側の塩尻東小学校の入口

阿礼神社

阿礼神社

神社入口にある龍の湧き水

神社入口横の龍の湧き水のすぐ近くに石燈籠のいぼ神様がありました。

日本最南端のいぼ神様
2007年 10月 28日 (日) 22:46 | 編集
ネット検索中に鹿児島県の離島鹿児島郡三島村の硫黄島(いおうじま)にいぼ神様があることを見つけました。天授の板碑といわれるいぼ神様で長濱家九代目の供養碑とのことです。初水を供えていぼとり祈願をするそうです。鹿児島県のいば神様は現在8か所見つかっています。
長野県諏訪郡富士見町のいぼ神様
2007年 09月 02日 (日) 21:14 | 編集
去る8月16日に長野県諏訪郡富士見町横吹にあるいぼ神様を訪問しました。いぼ神様は信濃精工の少し東にある民宿あららぎ荘の向かいの墓地の入口にありました。戦いで亡くなった甲斐の方の供養塔の宝篋印塔で、現在は笠と相輪のみが残っていていぼ神様に変身しています。丁度お参りしていた方に尋ねたところ笠に溜まった雨水をいぼにつけていぼとり祈願をしたとのお話をして頂きました。サイトいぼとり神様・仏様にもいぼ神様のページを公開しましたのであわせて御覧下さい。
信濃精工の向かいに九つ塚があります


富士見町教育委員会の九つ塚の説明板



宝篋印塔の笠と相輪がいぼ神様

名古屋市西区南堀越町の東岸居士のお墓
2007年 04月 20日 (金) 21:32 | 編集
ネット検索をしていて名古屋市西区南堀越町1に東岸居士(とうがんこじ)といういぼ神様があることを見つけました。JR名古屋駅で降りて名鉄名古屋駅から西に向かい名鉄本線の東枇杷島駅に下車しました。北方に900mほど歩くと南堀越町に着きました。南堀越町1-8-20の東岸公民館前に東岸居士のお墓がありました。東岸居士は自然居士の弟子といわれており、この地で亡くなりました。東岸居士は謡曲でも有名で喝食(かっしき)の面をつけて踊ります。喝食とは禅寺に居た半俗半僧の若者のことです。遊芸の得意な美少年です。渇食の面には大喝食(おおかっしき)、中喝食(ちゅうかっしき)、小喝食(しょうかっしき)の面があり、東岸居士はは中喝食の面をつけます。この東岸居士の墓碑はなぜか疣の神様なのです。私のサイト『いぼとり神様・仏様』の東岸居士のページも是非御覧下さい。

東岸居士の墓碑

東岸居士の墓碑
播磨のばあさまのお墓を訪問しました
2007年 03月 18日 (日) 21:38 | 編集
いつでも行けるところでずっと気になっていた静岡県清水区小河内中川原にある播磨のばあさまを訪問しました。身延参りの途中で病に倒れた播磨国生まれのおばあさんのお墓です。普通のお墓なのになぜかイボ地蔵といわれています。地蔵でないのにいぼ地蔵と言われているケースがけっこうあるのです。栃木県下都賀郡壬生町の聖観世音菩薩と阿弥陀如来、愛知県幡豆郡幡豆町貳西幡豆の安泰寺の釈迦如来、佐賀県藤津郡太良町多良の役の行者などです。
歴史上有名な方の供養塔(お墓)がいぼ神様
2006年 12月 13日 (水) 21:39 | 編集
私のサイト「いぼとり神様・仏様」を公開しようと思ったきっかけは愛知県知立市にある在原業平の供養塔のいぼ神様との出合いでした。在原業平は平安時代の歴史上有名な歌人です。その他に歴史上有名な人のいぼ神様としては茨城県石岡市小野越にある平安の女流歌人の小野小町の小町いぼ神様と岡山県総社市清音黒田のやはり小野の小町のお墓のいぼ神様、福島県相馬市新沼の八幡神社にある平安末期の武将八幡太郎義家の足跡石がいぼ神様、静岡県静岡市清水区蒲原に平安末期の武将の源義経の義経硯水がいぼ神様、岡山市西大寺上にある平安初期の大和絵の始祖と言われているかのう様といわれている巨勢金岡の墓のいぼ神様などなどです。
お墓がイボ神様
2006年 11月 05日 (日) 20:06 | 編集
長野県安曇野市豊科高家にある行人塚という行人様のお墓がイボ神様です。行人塚は日本国語大辞典によると「行者がそこにこもって飲食を断ち、生きながらにして仏になったという伝承をもつ塚」とのことです。安曇野市の行人塚は根誉行人という修行者のお墓で、行人がこもる直前にいぼが全身に出来ていたといわれています。十月の連休に訪問取材しこの度サイト「いぼとり神様・仏様」に行人様・イボ神様のページをこの度アップしました。お墓(供養塔)がいぼ神様のケースをいくつか紹介します。山梨県都留市中央町西凉寺のいぼ神様は元禄時代の御住職のお墓、神奈川県高座郡寒川町興全寺のとんがらし地蔵は六十六部の供養塔、静岡県周智郡森町梅林院のいぼとりさんはお殿様のお墓です。
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